佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

1950年代の成増・朝霞

グラントハイツ(現・都立光が丘公園)の光景

 湿気を感じさせない広い空!

実はこの風景、アメリカじゃなくて、日本なんです。しかも時期は1955〜1957年(昭和30~32年)。つまり、昭和33年を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』よりも前。

 

 先日、1950年代の「グラントハイツ」(米軍の住宅地 。現・都立光が丘公園)や「キャンプドレイク」(朝霞)をご存じの方から、お話をうかがう貴重な機会をいただきました。当時を知る方の言葉はとっても濃厚で、ついていくのがやっと…!というわけで、今日はグラントハイツ周辺の写真を、いまいちど整理してみようと思います。

 1955〜1957年、日本*1に勤務していたアメリカ人が、成増や朝霞などの風景をネットにあげているのでご紹介しましょう。すべて元からキャプション付き・元からカラー写真です。【Jim's Army Daze ~ 1955 - 1957

▽米軍の住宅地・グラントハイツ。この風景に、「梅雨」があるとは思えません。

Laura Ann and bicycle at Grant Heights, Summer 1956

▽グラントハイツのPX(売店)1957 Post Exchange at Grant Heights, 1957

▽グラントハイツシアター(1957)Grant Heights Theater, 1957

▽グラントハイツの教会(1957)Grant Heights Chapel, 1957

▽キャンプ・ドレイク(朝霞)と人力車。→輪タク・人力車の時代 - 佐藤いぬこのブログ

Laura Ann in Ricksha at Camp Drake, Summer, '56

▽本場のファンシー?(1957)Pat Killen & Laura Ann Carpenter, Saturday, June 15, 1957

▽成増のクリスマス。座布団に猫。Jim, Laura Ann and Cat at Christmas time, 1956

▽成増の正月(1957年1月1日)。鴨居のある部屋で、靴。

https://freepages.rootsweb.com/~bulger/genealogy/army70.htm

▽アプリ【東京時層地図】より「グラントハイツ」周辺

東京時層地図(高度経済成長期前夜)に加筆

この地図を見ると、アメリカのドラマ『LOST』で、“謎の組織”が、絶海の孤島にアメリカと同じ環境を完全再現していたのを思い出します。(たしか、ちょうどこの地図みたいな雰囲気でパラパラっと住宅が配置されていました)

同時期の日本の光景

上記の写真と同じ人が撮影した日本の光景です。

▽成増の商店街(1956〜57)。すずらん通りですね。Street Scene in Narimasu, Japan

▽肥料屋さんのオート三輪。左下に「成増ストリート1956」と説明があるのが見えますか?

Laura Ann Carpenter and Three Wheeler, Summer of '56

▽成増の肥桶運搬(1957)。この写真に限らず、アメリカ人は日本の「肥桶(Honey Wagon、Honey buckets )」を撮りがち。他の写真はこちらにも→街に牛がいる1950年代【肥桶・Honey Wagon】 - 佐藤いぬこのブログ

Honey Wagon in Narimasu

Honey buckets near Owada 1956 / 57(小和田通信所付近)

https://freepages.rohttps://freepages.rootsweb.com/~bulger/genealogy/owada02.htm 

▽成増周辺の“ジャパニーズソルジャー”(1957)

Japanese Soldiers near Narimasu, Summer, 1957

▽東京ストリートシーン(1956)。Tokyo Street Scene, March 1956

▽帝国ホテル(1957)

http://Hollis, Patricia, Laura Ann in Tokyo, Aug 1957

以上1955〜1957年頃のグラントハイツ関連の写真でした。朝鮮戦争は1950〜53年なので、今日ご紹介した写真は「その後」になります。朝鮮戦争の「まっ最中」の日本には、また違う風景があったことでしょう。

▽例えば、こちらは今回とは別の人が撮影した、朝鮮戦争の時期(1952)の朝霞=キャンプ・ドレイクです。参考まで。

shakedown

▽同じく1952年の朝霞(キャンプ・ドレイク Camp Drake)。

Camp Drake

このような感じで、私のブログは1950年代の写真をアップしております。ぜひ他の記事もあわせてごらんください。

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*1:大和田通信所(清瀬~新座)

【KOREA】子供が子供をおんぶする1950年代

子供が子供をおんぶする時代(韓国の場合)

 1950年代前半、主にアメリカ人によって撮影された日本には「子供が子供をおんぶする姿」がたびたび登場します。そしてこの時期、日本よりもたくさん撮影されているのは韓国なんです。前に日本の子供の「おんぶ写真」をアップしましたが、今回は韓国の写真をご紹介しましょう。

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▽1950年代の日本と韓国をうつしたカラー写真が大量に存在する理由は、コチラ。

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“Korean Children”

Korean Children

“Dr. Kims poliklinikk (1952)”

Dr. Kims poliklinikk (1952)

“Korean Children, Seoul”

Korean Children, Seoul

“Making cakes, 1952”

Making cakes, 1952

“Two kids, 1952”

Two kids, 1952

“KOREAN GIRL: SEOUL, KOREA; KOREAN WAR”KOREAN GIRL: SEOUL, KOREA; KOREAN WAR

わかりにくいけれど、中央のおかっぱの子はおんぶしています。

Busan,Korea Dec 1950

“Children Harvest time Korea”

Children Harvest time Korea

“Brother and Sister, 1952”

Brother and Sister, 1952

Korean kids,1952

▽おんぶはしていないけれど、よく見ると小さい子を抱えています。女の子の右手に包帯。

Slides_04_043

“Children at Camp NORMASH (1952)” 。「NORMASH」 についてはコチラをごらんください。

Barn ved NORMASH-leiren / Children at Camp NORMASH (1952)

▽おんぶ写真ではありませんが、野戦病院の子供たちです。“Chow, Kombo, Kim (1952)” 

Chow, Kombo, Kim (1952)

▽参考:同時期の日本。“1952 Japanese Children- Japan” 詳しくはコチラ→

【日本】子供が子供をおんぶする1950年代 - 佐藤いぬこのブログ

4-1-52- Japanese Children- Japan


以上、1950年代前半のおんぶ写真をご紹介しました。

余談ですが、先日、スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』を観たんですよ。スピルバーグ少年(1946生まれ)が映画に出会うのは、1950年代=まばゆいフィフティーズ。でも私は、日本や韓国の1950年代がチラついてストーリーに集中できませんでした。

▽破壊されたソウルのダウンタウン。建物の向こう側が見えています。“Destroyed Buildings, Downtown Seoul”

Destroyed Buildings, Downtown Seoul

▽瓦礫だらけのソウルと、復興途上の日本が、同時期に撮影されている例。

Korean War Memories 1951-1953 | Flickr

▽読んでみたい本

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朝鮮戦争時の横浜(混血児の孤児院)を描いたのが獅子文六の『やっさもっさ』です。

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服のお手本はナチスの「流行局」

 戦時中の『婦人画報』を読んでいると、ナチスヒットラーが肯定的に扱われていてビックリすることがあります。

▽例えば、記事のタイトルがズバリ「わたしたちのヒットラー」だったり。

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ナチスの流行局

で、今日ご紹介するのは「ナチスの流行局」関係の記事です。西洋のファッションを真似したくても「米・英」が敵なので、手本を同盟国ドイツにもとめたのでしょう。

▽「ナチスの流行局」の解説。ドイツ語が混ざっているし、正直何をいっているのかよくわからない!(『婦人画報昭和17年4月号)

ナチスのモオデアムト(流行局)は、流行を単に“流行もの”とせず精神の上でも物質的な意味でも、“国粋もの”の方向に進めつつある。

婦人画報昭和17年4月号

ドイツは我が国よりも三年早く衣類は切符制になっている。そこでナチスの生活文化部は、女性の物質に対する正しい「眼」の練達に主力を注いでいる。

婦人画報昭和17年4月号

▽まるで伝説の雑誌『Olive』(マガジンハウス)みたいなページ。お手本がリセエンヌじゃない『Olive』。

婦人画報昭和17年4月号

▽リボンとの組み合わせ。

東京オリンピック1964のポスターでおなじみ、亀倉雄策が手がけています。

ナチスの「流行局」がデザインした労働服。ベルトに小物入れがついてる。(『婦人画報昭和16年2月号)

ドイツ婦人労働者のための純然たる労働服。長いズボンのついたものでジッパーの機能的な利用や運動に対する注意の行きとどいたデザインである。製作・デザインとも「流行局」です。

婦人画報昭和16年2月号

▽オフィスの事務服、暗いエレガンス。サンダルは「代用品」を利用した新素材でできているそう。(『婦人画報昭和16年2月号)

いやみのないすっきりしたデザインが好感がもてます。左図は変形にしたところです。ちょっとした思いつきでまったくスタイルが変わります。

婦人画報昭和16年2月号

▽ちなみに、『婦人画報』の通常ページはこんな感じ。いやあ、一気に現実に引き戻されますね。お祖母さんやお父さんの着古した着物から「可愛らしいツーピース」を作るこころみです。『婦人画報昭和17年4月号。(モデルは、著名人のお嬢さんや奥さんなのだとか*1。)

婦人画報昭和17年4月号

▽今回は『婦人画報』を紹介しましたが、『婦人公論』の新社会人向けマナーのページもごらんください

外国旗などと交叉する場合は我が国旗を内側にし、門外から見て旗が右になるように掲げます。

婦人公論昭和13年4月号

以上、“ドイツ”を手本にしていた時代でした。

しかし、ただでさえ洋服に慣れていない日本人が【戦時の工夫をプラスする】って、すごく難易度高そうですよね!

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*1:『田村茂の写真人生』より

勝者目線の地図はこんな感じなのか《1945年、アメリカの広告から》

勝者から見た太平洋の地図

  終戦直後のアメリカの雑誌『LIFE』(1945年8月27日号)を見ていたら、思いきり勝者目線の地図がありました。「どうです、戦時中の我が社の活躍ぶりは?」といわんばかりの広告なんですよ。ウェスタン・エレクトリック社という電気機器の会社で、現在は「ノキア」が引きついでいるらしい。

▽島づたいに迫り来るアメリカ。ミッドウェイ、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、そして東京…。東京が、すごろくの「上がり」みたいになってる💦

▽一部拡大。《Japのホームランド「TOKYO」を爆撃するときも、我が社のデバイスがお役に立ちました》的な。

戦勝ムードあふれる誌面(LIFE 1945年8月27日号)

当然ながら、同じ号の誌面はお祝いムードです。

アメリカ各地の写真

「8月14日午後7時」、大統領が日本の降伏を発表。文中、何回も出てくる「Jap」…。

▽さらに同じ号(「LIFE」 1945年8月27日)の広告がコレ。終戦の年の8月ですよ。そりゃ負けますね。

日本から見た太平洋

 ちなみに。戦時中は日本の雑誌にだって勇ましくもカラフルな地図が載っていました(「婦人画報」1942年12月号)。

敵の第一次・包囲陣営はここにバラバラに粉砕されたのだ。(略)敵は常に反撃を狙っているのだ!

婦人画報」1942年12月号

 戦時中、日本の雑誌はどんどんみずぼらしくなっていきますが、上記の地図が出ていた「婦人画報」は、なぜか鮮やかなカラー頁をキープ。その理由はこちらをごらんください。

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千鳥ヶ淵でお花見する方へ

 以上、何ともいえない気持ちになる“勝者目線の地図”のご紹介でした。

話はかわりますが、これからお花見のシーズンですね。桜といえば「千鳥ヶ淵」。「千鳥ヶ淵」といえば「千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑」。こちらは海外で亡くなった戦没者の遺骨を納めた墓苑です、お花見には、今回紹介した太平洋の地図も思い浮かべてみてください。

千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑のパンフレットより

【戦時ラブコメ@蒲田】獅子文六『虹の工場』

戦時ラブコメは、設定がむずかしい

 昭和の人気作家・獅子文六の『虹の工場』(新潮社『日の出』昭和15年1〜12月連載)は、いわば戦時ラブコメです。

【巨大軍需工場のお坊ちゃん】と、【町工場の職工】が、ひょんなことから同じ女の子(キャフェの女給)を好きになってしまうお話で、舞台はなんと蒲田。

「え?戦争中にラブコメが成立するの?蒲田で?」と思われるかもしれませんが、これがギリギリのバランスで成立しているのです。連載時の昭和15年斎藤美奈子さんがいう「戦争初期はイケイケ気分」(『戦火のレシピ』岩波現代文庫)が、まだあったらしい。

もっとも、このバランスはとても微妙で。

“主要人物が(この時点では)出征していない”という大前提があって、ラブコメの形を保っている状態だったりします。

 なにしろ、巨大軍需工場の御曹司は「徴兵検査丙種」。彼は「銃をとって、軍国のお役に立ちたくても」それができない超虚弱体質です。

一方、御曹司の恋のライバル=「職工」は、若くて健康なのに「どうしたわけか兵役も補充兵に回され」ている状態。

そう。彼らが出征したらそこでストーリーが終わってしまう(または別のストーリーがはじまってしまう)そんな時代なのです*1

 2人の男性に愛されるヒロインが、軍需工場のそばに乱立する歓楽街で働いているのも、戦時中ならではの設定といえるでしょう。

▽参考画像:徴兵検査

一目見て 甲種ときめた 好い体

昭和14年11月 新潮社「日の出」細木原青起

 もっとも、戦時ラブコメといっても主要人物に恋のかけひきは全然ありません。軍需工場の御曹司は男前だけれど引きこもりだし、「職工」と「女給」は、(奇跡的に)真面目な性質だから。

私は『虹の工場』読むとき、「チェリまほ」の俳優さんにあてはめています。軍需工場の御曹司=町田啓太。内気な職工=赤楚衛二。純朴な女給=佐藤玲。どうです、いいでしょう?

今こそ読んでほしい、戦時ラブコメ

 『虹の工場』の舞台・蒲田は、昭和12年の「支那事変」以降、軍需景気で大賑わい。

工場そばの歓楽街は、金を持った【職工=産業戦士】で満員だし、出てくる小悪党はマヌケぞろい。御曹司の家は超豪華、成金の蒲田マダムは銀座でお買い物。つまり『虹の工場』は、戦争の暗部が最小限に抑えられているエンタメ小説なのです。

 一方、時々ネタはどんどん放り込まれているので、私たちはラブコメを読みながら、「興亜奉公日」「代用皮革」といった戦時中の言葉をスルスル覚えることができるわけ。

 残念なことに、未来人の私たちは『虹の工場』を手放しで楽しむことはできません。たった数年後の日本が焼け野原になるのを知っているから。特に軍需工場は狙われるから。しかし、だからこそ今読んでみてほしい小説なのです。

▽参考:【工場の職工=産業戦士】のヤンチャぶりがうかがえる本。

日本のカーニバル戦争――総力戦下の大衆文化1937-1945

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*1:獅子文六の『娑羅乙女』(昭和13)と『女給双面鏡』(昭和13)は、出征と同時に話が終っています。

パステルカラーと、敵対心の醸成【戦時中の婦人雑誌から】

 私は、映画『ミッドサマー』見た時、あまりの恐ろしさに胃が固まってしまいました。映画が胃に“きた”のは、はじめての体験です。

 さて、戦時中の「婦人画報」を見ていると、ときどき『ミッドサマー』を感じることがあります。明るい色彩の奥底に、ナゾの理屈がうごめいているあの感じ!以下、昭和17年の「婦人画報から画像を紹介しましょう。

日米開戦後の「婦人画報」(昭和17)から

▽例えばこれ。一見、おっとりした表紙に見えますよね?でもよく見ると、右上に「米英の 総てを 滅し去れ」って書いてあるんですよ。こんなにパステルカラーなのに!!

婦人画報昭和17年12月号

▽拡大したところ。世界地図を見ている男の子と、「米英の 総てを 滅し去れ」

婦人画報昭和17年12月号

▽中をめくれば、「米英の強奪」をテーマにした地図があらわれます。なんという気のきいたグラフィック!この時期、ほかの雑誌はみすぼらしくなっていくけれど、「婦人画報」はとっても鮮やかです。

ゴム・錫・タングステンキニーネ…その他の南方特産ともいうべき戦時必需物資は、米英の「強奪」から救われてアジアを潤すためにのみ活用されねばならない。その時が、今、来たのだ!

婦人画報昭和17年12月号

▽同じく昭和17年婦人画報」の広告はこんな感じ。花森安治がいたことでおなじみ「パピリオ」の広告は、英米人をけなすために「豚」や「くらげ」を使っています。

英米人は、学問上で、自分たちのことばかりから考へて、ヒフの白いのほど、進化した上等の様にいってゐるが、ヒフの白いのがよければ、豚のヒフは人間より、もっと白い。

婦人画報昭和17年4月号

▽一瞬、「暮しの手帖?」と思ってしまう記事。でも、書き出しは「米英撃滅の日まで、一億火となるべきとき」なんですよ。右下の「HIG」という謎サインは、花森安治ではないかと思っています。詳しくはこちらをご覧ください。

「わたしたちのヒットラー 総統と少女」【昭和17年の女性誌より】 - 佐藤いぬこのブログ

婦人画報昭和17年5月号

大政翼賛会のひらがなメッセージ

この時期『婦人画報』の巻頭には、いつも大政翼賛会の柔らかメッセージがあります。中央には、大政翼賛会のマーク。

戦ひは長い。けれども、前途は明るいのです。どんなことがあつても、私たちはしつかりしませう。大政翼賛会

婦人画報昭和17年4月号

昭和17年の『婦人画報』は、(日米開戦後なのに)絵本のようなページがあるから、よけい「ミッドサマー」を感じてしまう。ピッチャー、ワゴン、トレイなどIKEAのガーデンセットを思わせます。

婦人画報昭和17年5月号

以上、簡単ですが戦時中の「婦人画報」を紹介しました。

先日「特定国への敵対心を醸成」のニュースが話題になっていましたが、「敵対心の醸成」や「戦意昂揚」が、ふんわりラッピングされていた時代を忘れないようにしたいものです。

▽「暮しの手帖」の花森安治は、大政翼賛会で「敵愾心昂揚」の宣伝にたずさわっていました。

narasige.hatenablog.com

翼賛会の花森さん【大政翼賛会と花森安治】

『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』大政翼賛会時代の花森安治

暮しの手帖」の花森安治

資生堂」の山名文夫

この2人がコラボしたら、ものすごく魅力的な“何か”が誕生するはずですよね、ふつうは。(現在、ふろしきが商品化されています→□

では、彼らのコラボ(?)が戦時中に行われると、何が生まれるのでしょうか。

それを知る手がかりになるのが、『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(山名文夫・今泉武治・新井静一郎編/1978年/ダヴィッド社)です。

「報道技術研究会」(報研)は 、デザイナー・コピーライターなどの制作集団で、「国家宣伝の高度化と総合化」を目指していました。この本から、【大政翼賛会花森安治】と、【報道技術研究会の山名文夫】の時代を垣間見ることができます。

「おねがひです。隊長殿、あの旗を射たせて下さいッ!」

▽中はこんな感じ。「大政翼賛会 戦意昂揚ポスター(昭和18)企画構成・山名文夫」。有名な「隊長殿、あの旗を射たせて下さいッ!」のポスターです。

この地球上から、米国旗と英国旗の影が一本もなくなるまで、撃って撃って撃ちのめすのだ 大政翼賛会

『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(1978年/ダヴィッド社)に加筆

▽「報道技術研究会」会員の証言には、大政翼賛会の「花森さん」がたびたび登場します。たとえばこれは森永のデザイナーから「報道技術研究会」(報研)に入った方*1の思い出。

翼賛会にはそれからよく出かけた。花森さんは実においそがしかった。(略)最近は暮しの手帖で拝見するのであるが、当時からデザインやイラストもお上手で……

『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(1978年/ダヴィッド社)に加筆

“敵愾心昂揚”

昭和19年10月、山名文夫花森安治の打合わせ@大政翼賛会

「謀略展」を変更して目下“敵愾心昂揚”一本にあらゆる宣伝を集中するということになり……

『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(1978年/ダヴィッド社)に加筆

▽昭和20年6月、連日「花森氏」。

花森氏から情報局の最終的宣伝案——決戦攻勢宣伝案をきく。

『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(1978年/ダヴィッド社)に加筆

昭和16年の報道技術研究会。中央に山名文夫前川国男

『戦争と宣伝技術者 報道技術研究会の記録』(1978年/ダヴィッド社

……以上、『戦争と宣伝技術者』から、一部を紹介しました。ご存知のとおり、花森安治大政翼賛会時代について口を閉ざしていたので、“本人”による回想はありません。残念。

▽敗戦の年の花森安治山名文夫。ただの疲れ切った人に見えます。

山名文夫 1897‐1980』(gggブックス別冊3)に加筆

『戦争と宣伝技術者』のあとがきを引用します。

「報研の記録を本にしておこうではないか」という話が出た。それがようやく本書となったのである(略)。思い出は、報研とかかわり合った方々みんなに書いてもらいたかったが、そうもゆかなかった。 すでに故人となったひともおり、あまり前の事なので、ほとんど忘れてしまって書くことがないと断られてしまったひともいる。特に、前川国男花森安治林謙一、戸板康二、小野田政、江間章子などのみなさんには書いてもらいたかったのだが、果たせなかった。

花森安治

山名文夫

【わしづかみ力】のすごい人たちが、「敵愾心昂揚」や「戦意昂揚」にかかわっていた時代。

2023年が「新しい戦前」だとしたら、誰と誰がコラボするのでしょうか。

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*1:村上正夫

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