佐藤いぬこのブログ

戦争まわりのアレコレを見やすく紹介

映画館いろいろ(1950年代のカラー写真から)

先日、新しくできたシネコンに行って驚きました。あまりに「倉庫」っぽい外観だったから!そのエリアはもともと倉庫が多いので、どれが倉庫だか、どれが映画館だかわかりゃしない(笑)。 今日は、倉庫とは真逆のハデめな映画館を紹介します。1950年代前半に…

空の港と、映画館

「港」と洋画の関係 漫画家の久保ミツロウさん(佐世保出身)が、ご自身のYouTubeで"港のあるところは洋画が入ってくるのが早い。米軍や自衛隊が観るから。佐世保は映画館が9つあった"と語っていて、なんだか説得力がありました。 ▽佐世保の映画館の例 Movie…

出来たての本願寺(獅子文六「浮世酒場」より)

出来立てホヤホヤの築地本願寺 獅子文六の「浮世酒場」(昭和10)は、酒場に集まった酔客が、東京ポッド許可局のように時事ネタしゃべりまくるスタイルの小説です。昭和10年の時事ネタなので、最新ニュースが"ハチ公の死"や"三原山心中"だったりするわけです…

【日本】子供が子供をおんぶする1950年代

おんぶされている赤ちゃんは、1980年にアラサー 1950年代前半、主にアメリカ人によって撮影された日本には「おんぶ」が沢山登場します。 ▽なぜ、1950年代に日本をうつしたカラー写真が大量にあるのかは、こちらをご覧ください narasige.hatenablog.com 先日…

おんぶ・ねんねこの時代

戦後、外国人によって撮影された写真には「おんぶ」が沢山登場します。被写体になりやすかった日本のベスト3は、以下のとおり(わたし調べ)↓ 1位「おんぶ」 2位「肥桶を運ぶ牛の車」 3位「霊柩車」 今回は、昭和のおんぶ写真をご紹介しますね。 ▽子供が子供…

焼きそばパーマの時代

戦争が終わると、すぐパーマ 敗戦間もない頃って、意外にパーマが爆発してるんですよ。獅子文六の昭和22年の短編『無頼の英霊』にも、田舎の娘たちが戦争が終わったとたんパーマをかけて「焼ソバのような総縮髪」になる話が出てきます。 1年もたたないうちに…

衣紋グニグニ

名取洋之助が撮った東京の芸妓(昭和10年5月アサヒカメラ)。襟が、けっこうグニグニ。 説明文を拡大「マツダ写真電球1個を使用」 上と同じ写真が、対外宣伝グラフ誌「NIPPON」1935年4月号の「日本女性の魅力はどこにあるか」という特集にも使われていました…

「団体旅行」(獅子文六)

獅子文六が描く戦時下の団体旅行 一応、時局に遠慮する 成金令嬢の苦悩 参考画像 下駄と旅行 獅子文六が描く戦時下の団体旅行 獅子文六「団体旅行」(昭和14)(断髪女中 ──獅子文六短篇集 モダンガール篇 収録)は、戦時下の団体旅行を舞台にしたコメディで…

昭和10年のワクワク写真撮影術

アサヒカメラ 昭和10年5月号。「アマチュアに捧げる5月の写真撮影上達の秘訣」という記事です。すごく可愛いくて軽やかなイラスト!獅子文六シリーズ(ちくま文庫)の表紙になりそう。イラストの作者は、平井房人。彼はのちに「家庭報国思ひつき夫人」を描く…

昭和の割烹着(かっぽう着)姿を探してみました

ファミリーマートの「おかあさん食堂」のような割烹着(かっぽう着)姿を探してみた結果… 真っ白い割烹着、かっちりしたパーマ、マジメそうな着物……。ファミリーマートの「おかあさん食堂」は、古きよき昭和(と思われてる)イメージが盛り込まれています。…

街に牛がいる1950年代【肥桶・Honey Wagon】

道路にいる「家畜」が、ヘッドライドを浴びる?! 来年は、丑年。かつての日本は、「街の中」に牛や馬がいました。にわかには信じられないかもしれませんが、本当なんです。その様子がわかる文章を『竹頭帖』(宮田重雄/文藝春秋新社 1959)より紹介します*…

フラフラと大島へ(獅子文六「浮世酒場」を読んで)

昭和10年の時事ネタトーク 獅子文六の小説「浮世酒場」(昭和10)が、金色青春譜 ――獅子文六初期小説集 (ちくま文庫)に入るそうです!嬉しい!「浮世酒場」は酔った客が東京ポッド許可局のようにしゃべりまくるスタイルの作品です。すごく時事ネタが多いので…

虫そのもののブローチ(昭和14年)

国防婦人におすすめ!昆虫そのもののアクセサリー こちらは昆虫モチーフではなく、虫そのものを特殊加工した「ツノクワガタのヘアーネットピン」。「戦車の鍬形虫は、国防婦人に見るからに興趣つきせぬものがある」とありました。うーん、編み目にひっかかり…

真っ赤な女の子達(1950年代)

全身、真っ赤な服の女の子たち 今日紹介するのは、1950年代前半の女の子たちです。敗戦から数年しかたっていないのですが、想像以上に服が真っ赤なんですよ。赤い!赤すぎる!ネットで見かけるたびに[Pinterest]にストックしてきたので、ここで一気にまと…

海外公演「宝塚海を渡る 盟邦ドイツ・イタリーへ文化の使節」

宝塚の海外公演 昭和13年ドイツ・イタリーへ 「宝塚 海を渡る 盟邦独伊へ文化の使節」という海外公演の記事をご紹介します。(昭和13年11月大阪毎日新聞社「ホームライフ」 )。出発に向けて大忙しの様子が伝わってくるようです。 盟邦独伊への文化使節宝塚…

ちょっぴり写っている分離派

先日、パナソニック汐留美術館 「分離派建築会100年展」に行ってきました。旧朝日新聞社屋、京王閣、聖蹟記念館など、気になっていた建物がいっぱい!私は、1950年代のカラー写真をネットで集めているのですが、ときどき、旧朝日新聞社屋が少しだけ写り込ん…

「暖房完備」をアピールした時代

「暖房完備」が売りだった頃 昭和の広告を見ると、「冷房完備」を強調しているお店がありますよね。実は「暖房」も、けっこうアピールされていたようなのです。 たとえばこちらは銀座のティールーム、「純喫茶・白馬車」(昭和28-30頃)。この外観、当時はエ…

休憩所としての日本

戦場の看板「R&R」 1950年代前半(朝鮮戦争の時期)の日本を撮影したカラー写真が多数ネットにあがっています。しかし1950年代も後半になると、そのような写真はほとんど見かけません。一体、どのような経緯で撮影されたのでしょうか?以下、関連写真をご紹…

レコード会社の生き残り大作戦(獅子文六『東京温泉』)

軍歌で当てたレコード会社(獅子文六『東京温泉』) 獅子文六の小説『東京温泉』(昭14)には、戦時中のレコード会社が登場します。※この「東京温泉」は、戦後銀座に出来た「東京温泉」とは無関係です。 そのレコード会社は、たまたま軍歌が大ヒットしたとい…

【閲覧注意】銀座の女子と「M*A*S*H 」

flickrで、銀座にたたずむ女性の写真を見かけました。朝鮮戦争の最中、1952年(昭和27)の撮影です。背景の日本女性と同じくらいの背丈、パンナムのかばん、磨かれた靴。 拡大。とってもマジメそうな人です。軍の関係者に見えますが、どういう理由で銀座にい…

1950年代の写真をどうぞ。

Twitterで、1950年代の写真を少しずつあげています。(着色ではありません。元からカラー)。ぜひご覧ください! 【1950年代の写真をどうぞ】No.39星条旗と聖路加病院。(接収され、米国陸軍病院に)https://t.co/3DiFaql4U4#1日1枚1950年代写真#1950s pic.t…

徳田ビル(パールハウス)

占領下の日本で撮影された写真を集めています。これは銀座の徳田ビル(パールハウス)。手前は、泰明小学校。 徳田ビル(flickrより) 私はこういうお洒落なビルを見ると「夏暑くて、冬寒そうだな」と、なんだか心配になってしまいます…。対外宣伝誌『NIPPON…

「銀座二十四帖」をカラーで置き換えてみる

モノクロの「銀座二十四帖」(1955昭和30・川島雄三)を、カラーで置き換える遊びをしてみました。(「なぜ、この時代にカラー写真が沢山あるのか?」については「朝鮮戦争と聖路加病院」をご覧ください) narasige.hatenablog.com 肥桶の匂いからはじまる「…

「粋」の使い方(「暮しの手帖」の「浴衣を粋に着こなしたい」特集を見て)

「暮しの手帖」と“粋”な浴衣 2020年夏、「暮しの手帖」に「浴衣を粋に着こなしたい」という特集があって、一瞬「ん…?」となりました。今日は、「粋」の用法について考えてみたいと思います。 「色の道」と、粋 現在、浴衣や着物について「粋が目標!」のよ…

東京温泉、日本の黒い霧など

松本清張「日本の黒い霧」に登場する"お風呂" お洒落な銀座のヒストリーには、まず出てこない施設「東京温泉」をご紹介しましょう。場所は銀座6丁目で、GINZA SIX(旧・銀座松坂屋)の裏手あたりです。下の写真でいうと、ウェディングケーキのような形を中心…

明治生まれの方に着物についてうかがいました

2003年に、明治生まれの方から、着物についてうかがいました。以前、それを自分のサイト(「着物イメートレーニング部屋」)にのせていたので、そのまま転載します。2003年に90歳半ばですから2020年の現在でいえば110歳くらいでしょうか。 裕福な女性の思い…

パステルカラーの表紙に隠れていたもの

これは昭和14年(1939)3月号の「ホームライフ」です 。東郷青児の美しい表紙に、キャサリン・ヘップバーンの映画紹介、村岡花子や杉村春子の生活エッセイ…。ほら、読みたくなってきませんか? しかし昭和14年の日本は「100日後に死ぬワニ」的に言うならば「…

レジ袋がなかった時代

レジ袋がなかった時代の買い物スタイル かつて、レジ袋も、折り畳みエコバッグも存在しませんでした。どうやって買い物をしていたのでしょう?昔の買い物姿をご紹介します。 袋に入れず「しばる」 「この辺に 居るのか巡査 葱をさげ」。レジ袋からネギがはみ…

八紘一宇・HAKKO ICHIU

フランク・キャプラによるプロパガンダ映像「汝の敵 日本を知れ」は、「八紘一宇」をアニメーションで繰り返し説明しています。「ハッコウ イチウ」って。 以前はネットフリックスでやっていたのですが、今は見ることができません。かわりにYouTubeをどうぞ…

変わる変わるよ、フェーズは変わる

私は、戦中・戦後のことをチマチマ調べていますが、以前は、そんなもの一切知りたくない人間でした。親が戦時中に疎開していた世代なので、子供たちに昔の苦労を語り「それにひきかえ、恵まれたお前達は…」と説教するからです。 そんな私が変わったのは、10…

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